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Silver Nullf MoviesReview

アイデンティティー

Summary

豪雨の夜、女優の運転手であったエドは前方不注意から女性を撥ねてしまう。
女優は責任を取らされるからと助けに出ようとするエドを止めるが、エドは制止を振り切り助けに行く。
車を走らせモーテルについたが豪雨の影響で電話が繋がらず、エドは50キロ東にあるという救急病院まで呼びに行くことにした。
途中車が故障してしまった女性を乗せてあげ車を走らせるエドだったが道路が冠水しており車が使い物にならなくなってしまう。
運よくカップルが通りかかりエドは止むを得ずモーテルに引き返すことにした。
最終的にモーテルには豪雨によって11人の男女が集まることになったのだが、女優が何者かに殺されてしまう・・・

Suspense

Review

2003年制作のサスペンス映画
監督:ジェームズ・マンゴールド
脚本:マイケル・クーニー
製作:キャシー・コンラッド

モーテルと聞くと死を連想してしまう症状・・・そしてそれは今回も例に漏れずで。
モーテルで起きる殺人事件、犯人は誰なのか、目的はなんなのか!?

以下ネタバレにご注意下さい。

以下(局所的)感想と妄想と・・・

  • ティミーの存在
  • まず思ったのはマルコムというそのものの人格が作中一切出てこない
    そもそも解離性同一性障害には主人格があるものと交代人格のみで構成されるものとあるそうで・・・
    この作品では主人格がいないのかとも思いますが、精神的な苦痛の切り離しで人格を分裂させていったと考えるならば、ティミーが元の基本人格なのではないかと思ったわけです。
    まず何より容姿が子供であるということ、医師のセリフ「幼年期の虐待の影響で人格が分裂することがある」この部分から幼年期を形取るティミーは人格の分裂によって残された憎悪の塊ではないかと。
    そんな感じかなと思ったんですが・・・
    ただ逆じゃないか?と思うんですよね、むしろティミーが主人格なら純粋な部分が残って然るべしだと、憎悪を切り離すべきじゃないかと。
    逆といえば、マルコムの人格達の中では、おそらくティミーだけが他の人格の存在を知っていました、だからこそ全員を消し去ろうと考えることができたわけで。
    他の人格には理解できないことが理解できているということは他の人格とは一線を画す存在ということ、つまり主人格であるんじゃないかと考えてしまう。

    しかし!!しかしですよ、実際の解離性同一性障害から見るとおかしな話で・・・て。
    実際の解離性同一性障害を引っ張ってくんじゃねーよていう話ですよね、映画ですもんね。

    「我々は今夜10人の死を確認した」というセリフから見るに、主人格というか元になる人格はこの11人の中にいるはずだろうと思うんですけどね。

    主人格かどうかは置いといてもティミーは虐待から生まれた憎悪の人格であり、その容姿からも当時から時が唯一止まっている存在のような気もします。

    最後のセリフ「階段を上ってたら」「また会った、姿のない人に」「そこにはいない人に」「どうか僕の前から消えてくれ」これを聞くと素直にティミーが元の存在なんじゃないかなと思いますが。

  • 衝突によって人格を減らすということ
  • 医師は最終的に犯人探しをエドに請け負わせましたが、その時すでにモーテル殺人事件は佳境を迎えていました。
    これはエドが医師との予約をすっぽかしたためにタイミングがかなり遅れてしまったということで、おそらくもともとはエドにもっと早い段階から犯人探しを依頼するつもりだったんじゃないかと思ってるんですが。

    医師は、複数の人格が対峙すると結果的に衝突が起こり人格の数が減っていくと話しています。

  • 医師の誤算なのか何なのか
  • ティミーだけは最初の段階から犯人探しという目的、そしてここが精神世界であり存在する人間たちが分裂した人格達であることを知っていた。
    ティミー「ピンチはチャンスだっ!!」
    医師の考えた、人格を消去してしまいながら犯人もサヨナラという選択が仇となって、憎悪系男子ティミーの人格だけが残ることになってしまった。
    それを咎めるように医師も最後に殺されていました(おそらくですが)。

    分裂した人格達がいたからこそマルコムはなんとか薄まってたわけで(6人殺してるんで薄まってないですかね)、しかし死刑執行までの時間がなかったために人格を消していくというリスクをとるしかなかったと。

    ティミーが最後の一人になるということを知ると、男性である犯人のマルコムの中に残った人格が女性であるパリスということも死亡フラグ的に感じて納得してしまうという。

    マルコムは母親は売春婦で、モーテルに置き去りにされたと語っていますが。
    ということになるとパリスは売春婦という人格設定であることから母親を象徴しているのでないだろうかと。
    ラストシーン「あばずれ 地獄へ行け」というティミーの母親に対してとも取れるパリスに向ける憎悪、パリスを殺すのは最後にと決めていたような気もしないでもない。

  • ではここであえてラリー主人格説を唱えます
  • モーテルのオーナーのふりをしていたラリーはパリスを売春婦と決めつけていたのは服装からですか?精神世界であることの暗示ですかね。
    とにかくラリーは売春婦という存在を嫌悪してて。
    でもだんだんと仲良く・・・はならないにしても歩み寄りがある。
    そして地元は共にフロリダのポーク郡・・・はっ!?
    喧嘩した母親と子供のようじゃあないかあー。
    パリスが母親を象徴として分裂した人格とするなら、その存在を嫌悪するラリーはマルコムの根っこの部分と言えるんじゃないか、ティミーという憎悪を切り離した主人格なのではっ!!

    これで解離性同一性障害の「主人格は交代人格の存在を知らない」はクリアだ・・・うっしっ!!(ティミー以外の人格にも言えることですが・・・)

    まあ正直言ってこれが主人格であることの証明にはなんらなってないですが、主人格かどうかは別としてこういう関係性なんじゃないかなと感じました。
    パリスの自分のことをクズ呼ばわりするラリーへの対応がなぜか優しく見えるというのか、今までの溝を埋めようとしているような(元は一人の人格ですが)、これはかなり主観的な意見ですな。

  • というわけで
  • 結果エドやロードの話を全くしないという・・・
    あの二人は支配権がある、場を掌握できる強い人格で通常時はエドが支配権を持っていて、環境がダーティーだとロードが支配権を握るみたいな感じじゃないでしょうかね(ハナホジ)。
    なので作中でも、特にエドの発言に関してはみんなすんなり従っていた印象があります。

    インスタントカメラ懐かしい(キュイーーーーン)。
    ティミーという存在がこの作品をより楽しくしてくれてるわけだと思うんですが、しかしなぜか主人格に執着する私の妄想がとっちらかり過ぎてて・・・
    恐ろしくまとまりのない文章で・・・
    ご、ごめんなさい

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